「農業にイノベーションを」
「新時代の農業」
「まったく新しい農法」
みたいなキャッチコピーを見かけるけれど、
究極にイノベーションなのは、種を蒔いたらあとは収穫までほぼ人の手も人工的なエネルギー投下もなく収穫出来るようになることだと個人的には考えてます。
遺伝子をいじくったり、大掛かりな設備を作ったり、AI操作で水や養分管理したり、ドローンで農薬撒いたり…
ハイテクだけど、脆さもあるし、何よりお金が掛かる。そして個人では再現不可能なものなので、大企業による支配がしやすくなる体系でもあるんじゃないかなって。
私がやっているような、自然農法、自然農と言われるやり方ははっきりいって生産効率という点からしたらめちゃくちゃ悪いです。
ただし、それは『人間1人の労働時間に対して』です。
SDGsとか持続可能性が重要と言われるようになった最近では、究極的に持続可能な農業も考えられるべきじゃないかと。
こういう話をすると必ず
『それで世界人口を養うだけの食糧が作れるのか?』
という意見が出るのですが、0か100か、白か黒かみたいな二極論で話をすること自体がまずナンセンスだと考えます。
現代の世界では食糧はむしろ生産過剰な状態。
それでも世界から飢餓は無くならない。
これは、生産技術の問題ではなくて、分配のやり方に問題があるということ。
それに現代の効率的な栽培方法は、その裏側でどれだけの資源消費をともなっているのかを考えなくてはいけないです。
そういうことをあれこれ考えていると、その土地の気候風土に根ざした伝統的小規模農法をやりつつ、足りない分を各国各地域で輸出入して補い合う。
そういう仕組みづくりこそが、本当に必要なイノベーションなのだと思うんです。
だから、個人でも気軽に出来て資材を外部に依存せず自給可能な自然農のやり方には単純な生産効率では測れない価値があるんじゃないかなって。
そうでも思わないとやってられない気持ちも時々沸き起こるんです笑
米麦大豆の主要穀物を栽培してみると本当にそれを痛感しますよ。
主食となる農産物はとても重要だからこそ、生産技術や機械化が進んだおかげで、安定的にとても安価に生産、提供されるようになりました。
それはつまり、昔ながらの伝統的な農法での生産方法では全く採算が取れなくなることでもあります。
それを痛感しています。
↑昨日、手作業で収穫した古代小麦の天日干しと選別、籾摺りを小さな機械を使って行っていました。