最近感じていた違和感みたいなものに、
自然や環境のこと、農や食のことに取り組もうとすると、
「応援するよ!」
と言ってもらえること。
それは素直に嬉しいし、ありがたいのだけれど、時々なんとなく感じる違和感があって、
『応援する』
というのは、
どこか他人事に思ってない?と感じる時がある。
その応援が、
「あなたのやっていることはとても大事なことだけど、私にはやる事が出来ない。私の代わりにそれをらやってくれてありがとう。応援しています!」
というのはなんの違和感もなく、
ありがとう!おれ、頑張るよ!
あなたも無理なさらずにお仕事頑張って下さい。私も応援しています!
と気持ちよく返せる。
けど、
軽い気持ちで
「なんか良い事やってるっぽいねー。がんばってねー応援するよー(言葉だけ)」
というのは、先に書いた違和感を感じる。
感謝されたいため、賞賛されたいために、やっている事では無いのだけれど、自然環境に携わる一次産業というのは、全てあなたにつながっている事で他人事ではないんだよ。
その事を知ってほしいなと思ってた所に、有谷さんのブログ↓
https://www.iyashirochi-p.jp/entry/2019/09/09/203511
ちょっとね、人様のお家のことだけど、そりゃあんまりだぜ。
農地の管理手入れ、草を生やさないようにするだけならば除草剤ばら撒く方が簡単だけど、薬は使わずに草刈機で何度も刈って手入れします。
正直いって、草刈したところでお金にもならないし、まだここでは上手く野菜も栽培できない畑。
いっそ地主さんにお返しして、コンクリートかアスファルトで駐車場かなにかにしてしまったほうが管理は楽になるし、お金も入るかもしれない。
けど、農地を潰していくという選択を、私はしたくない。
でもね、実際にはどんどん田んぼや畑が潰されて工場や配送センターができていってる。
それが日本人の選択ということになるのかな。